障害者が社会で理解されるには

 私は一障害者です。高次脳機能障害と言う障害です。自らの障害を言う人は少ないでしょう。でもこのように心開いて社会に訴えて行かないと、私たちに皆さんとの道はありません。心を開き、勇気を持って、私は自閉症です。私は発達障害ですと。その他いろいろ。でもいえる人はその中でごくわずかだと思えます。精神障碍者手帳でいまだに顔が映るのが嫌だと言う人も多くいるからです。顔を見られるのが嫌だ。指差されるのではないか。そんなコンプレックスを持っている人や自身の無い人も多くいます。それは障害者同士で同じ顔しか見ていないからです。健常者の顔を見ると腰を引いてしまうからです。それが障害者です。だから健常者の社会の常識はわかりません。ルールも分かりません。今そのような障害者がどのようにして生まれたのでしょう。偏見に差別にそれから社会に追いやられて負け、いじめられて精神がおかしくなってしまった人もいます。特に今の世の中は殺伐としています。若者は極端に人間性が、非常識になっています。また命の尊さも軽んじられています。その下社会に私たちも生きているのです。勿論私も昔はこうした障害を認定されるまでは障害者の存在すら知りませんでした。そういう人がいるのかと言う感じでした。あるデイケアに行って私は初めてその存在を知りました。何かくらい。眠そうに下を向いているのですね。だんまりなのですよ。おかしいと思い聞きました。それが精神障害なのだと。私はえっと思いました。その頃は私は高次脳機能障害の認定は受けていませんでしたから、自分は健常者で仕事もしていましたから、ただただ驚きでした。これがこれが障害者なんだと。でも私は思いました。これからは私はこういう人と付き合っていこうと思ったのです。世の中は恵まれた人ばかりではない。このように日陰で暮らさざるを得ない人も大勢いるのだと。そうして私も長い日がたちやがて障害者の作業所に行くようになりました。私が自分のことをおかしいと思ったのは今から十年以上も前のことです。記憶力が極端に悪いと言うことでした。それで日赤に見に行ってもらいました。そうしたら高次脳だと言われ、結局私もみんなの仲間に入ったのでした。仕事を一緒にしていると、みんな真面目でいい子ばかりです。仕事だって毎日来ています。自分から見れば仕事をする人の鏡ですよ。だからどうしてこんな子がこんな風にならなければいけないのかと考えてしまいます。何か悪い事でもしたのかとか、大きな罪を犯したのかと......なぜ偏見の目で見るのだろうと思います。現実に皆さんが見れば素晴らしいと思うでしょう。私も昔職場で薬を飲んでいて、店の店長に本社員にしたいけど出来ないと言われました。これを聴いた時は残念だけど仕方がないなと思いました。だから私は今現在障害者と一緒に昔のこういう経験を活かして仕事をしたいと思っているのです。そのように仕事をすることこそ私には社会に認められる一歩ではないかと思います。もしかしたら良心的な人がいるかもしれません。私たちは助けられて生きて行かなくてはいけません。感謝の気持ちを持って生きて行かなくてはいけません。今年の夏も暑かったです。猛暑日一週間。真夏日一か月。頑張って生きてきました。あともうひと頑張りです。