腸閉塞は怖い

腸閉塞はつくずく怖い病気だなと思った。それとトイレの関係だ。なぜここでトイレのことばを出すかと言うと便通に問題がある。つまり行きたい気配を感じたらすぐに駆け込まないといけないからだ。気配を感じた後ではトイレが間に合わないからだ。簡単に言えば漏れてしまう恐れが非常に高いからだ。じっとしていればそれほど感じだったら外出して歩くとお腹が少し代謝をするからだ。だから外出したらその怖さを思い知るからだ。きっと私と同じ病気を持っている人ならばわかるだろう。トイレに間に合わない恐れが強いからだ。特に怖いのが下剤を飲んでいることだ。それで自然とトイレに行く時間が短縮される。どこにでも外出したらトイレを早く知っておくべきだと思う。だから私は思う。一日も早くこの腸閉塞を治したい。そうしないと自由に外出して買物すらできない。いつもドキドキハラハラしていないといけない。多くの患者さんはその辺をどのように思っているのだろう。意見を聞きたい。自分の参考にしたいからだ。それでもしものことがあったら困るので下着は私の場合はいつもリュックサックの中に入れている。そうして私は外出をいつもする。もちろん仕事をしている時もだ。こういった人々が何人いるだろうと私は想像する。それに私の病気には足も類ので外を歩くことさえままならない。つまり足がしびれて転ぶからだ。だから今度神経内科に行こうと思っている。だから私の病気はいろいろ複雑に絡み合っている。そして高次脳機能障害といろいろ病気を抱えている。だから体がとても疲れやすい。だから仕事も午前中で自分の判断で切り上げることが多い。早くみんなと一緒に午後まで仕事をやりたいと思う。それで仕事をしている時も腸閉塞があるのでトイレが近くなるだけで私はすぐ駆け込む。何とも情けないことだ。だから仕事も満足に通して仕事ができない。それが一番悲しいところだ。f:id:nyarome1chang:20170628000516j:plain

厄介な病気

 今私は腸閉そくで困っている。悩んでいる。腸閉塞というのは真に厄介な病気だからだ。立っているとトイレに行きたくなるし座ればまたでない。変な病気で非常に苦しい病気だ。便は柔らかくて我慢ができない病気だ。おならすら満足にできない。なんでこんな変な病気になったのか自分がいやになってくる。原因は自分が後ろにもろに転んで腰の部分を思い切ってぶつけたからだ。自業自得と言えばその通りだが全く情けない。それから下剤を飲むようになった。しかも毎日三回もだ。だからお尻の具合が気持ちが悪くて仕方がない。トイレに行く気配が感じるか感じないかわからないうちにトイレに行かなければならない。下手をすれば下着にくっついてしまう。我慢をしようとするとその前に出てしまうのだ。人は笑うと思うけどこんなに深刻な病気はない。世の中に何人腸閉塞で苦しんでいる人がいるかと思うと自分が同じだから何だか辛くなってしまう。腸が閉塞するから下剤をうまく飲まなければいけない。閉じるということはどういうことだろう。腸が締め付けられるのだろうか?でも全くそんな感じは全くない。そういう意味では全く不思議な病気に見える。それとも自分にそれだけの知識がないのかもしれない。だから下手におならも出来ない。便が出そうになるからだ。今までそんな経験がなかったから余計に怖く感じる。いつ完全に治るのだろうといつもそう考えている。本当に厄介な病気になって知った感じが吸う。思うように用を足すことができないからだ。スムーズに出ないからだ。自分でもどうすればいいのかわからない。スムーズに下剤を飲まず便を出すいい方法はないだろうか?そればかりを考えている。こうした厄介な病気、腸閉塞で苦しんでいる人は何人いるだろうか。それを考えると私にはとても他人ごとではない病気がする。そういう感じだ。

グループホームへ行くのはいいけれど......

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 今日は体調もよっく朝早く起きた。しかし二度寝をして急いでご飯を食べてコイノニアへ行った。やっぱりコイノニア(作業所)はいい。みんながいるし職員も楽しく対処してくれる。だから今日は午前中行ったらすぐ衛生病院のパンの包装から始めた。それからすぐ福祉のパンの包装もやった。福祉のパンは食パンとこどもパンだった。それから少し時間があったのでプリンの用意をしたがプリンは午前中で終わってしまった。それで今日は水曜日だから高校のパン(あんパン)の包装が遅れていたので午後一でやった。そのあと午後はグループホームの話をした。グループホームは手続きを少しだけ簡単にやった。グループホームで一番気になるのがやっぱり母のことだ。母は高齢だし一人暮らしになると食が細いので心配だ。それにまだ本当なら入院中なのだ。予定は三月末であった。だから事実上はまだ入院をしていない体なのだ。それを体を動かし食事を作ったり、洗濯をしたり忙しく動いている。だから無理を相当していると思う。それに疲れるからすぐ別途で寝ている。だからそんな具合だから自分も四月からグループホームに入らなければならない。そうなったら母は食が細いのでそれが一番心配だ。母の体重もこれ以上痩せさせたくない。グループホームは自分がアパート暮らしのような一人暮らしでのんびりできるからいいがやっぱり母のことは気になって心配になってくる。土曜日と日曜日は自宅に帰れるからいいが月曜日から金曜日までは八幡町のグループホームに戻らなければならない。その五日間が心配なのだ。おそらく最初は気になってなかなか作業所の仕事がなかなか手につかないだろうと思う。今母は何をしているのだろうと......。だんだん慣れてくるとグループホームも慣れて月曜日、水曜日、金曜日と仕事に行けるようになるだろう。そしていつもの調子で仕事ができるようになるだろうと思う。そして土曜日と日曜日は自宅に帰る。その時は元気な姿で帰りたい。そうすれば母も少しは元気を取り戻すだろう。それに日曜日は礼拝だ。なるべく体の調子を整えて教会に行きたい。みんなに会うのが楽しみだからだ。それが終わるとまた八幡町のグループホームに帰らなければいけない。母の心配を少しでも少なくして帰りたい。母のことを考えるのはやっぱり親子だあらだ。親子二人しかいない家族だから月曜日から金曜日はまた母を独りぼっちにしてしまう。火曜日と木曜日をどのように過ごそうか少し心配だ。仕事がない日はどこかへ行って一服しにも行きたいしまた母の様子もうかがいたいと思っている。花小金井でも田無でも少しバスに乗って一服しに行きたくなる。でもやっぱり母の顔は見たいのが本音だ。火曜日と木曜日は帰れたら帰ろうかなと思う。それで顔出しして様子をうかがって帰るのもいいだろう。そういうグループホームの使用方法もいいかもしれない。それも一つの手段だ。でも毎日出っ放しでは体が疲れてしまう。その点は気をつけなければいけない。グループホームは三年契約だから三年過ぎたら自宅に帰ろうと思う。それは職員に言ってある。今日は八日だが明日はあすなろが来る。少しでも元気な姿で会いたいと思っている。おそらく今月で終わりになるだろうと思う。三年たったらまたあすなろは来てくれるだろうか。その辺も聞きたい。そして時はあっという間に過ぎ去るだろう。母も帰って来るのを楽しみにしているかもしれない。しかし三年たったら母は何歳になっているだろう。齢が気になる。これ以上自分としてはふけてほしくないが人間は一年一年更けていく。だから自分が自宅に帰ったらできるだけのことをしたい。

これから暇になるだろう

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 コイノニアはこれから取引先が春休みに入る。だから仕事がぐっと減る。福祉や衛生病院の食パンはどうなるのだろう。高校のパンの包装が消える。ケイズさんは体調が悪くて注文が来ない。三育のサンドイッチや三育小学校のパンの包装もなくなる。春休み、夏休み、冬休みはだから仕事がなくなる。それに今日は金曜日だった。金曜日は週で一番暇な日である。今作業内容が変わって床の掃除をしていない。せいぜいテーブルの上をふくぐらいだ。だから今日の朝は調理パンを久しぶりにやった。それから高校のパンの包装があったのでそれをやった。しかしもう少しである休みだ。今三育小学校のパンがない。それに今言った高校のパンの包装もなくなる。ほとんど販売や配達のパンの包装がこれからなくなる。そういえばこのところ金曜日は床をデッキブラシ等で掃除をしてない。せいぜいテーブルを拭くぐらいだ。どうして床掃除がなくなったのだろう。職員も変わったので忘れているのかもしれない。この床掃除を洗剤を使って掃除をしなければいけない。それを職員に言わなければならない。パンの番重洗いだけでは物足りない。今日も午後はマフィンの包装をやった。それで暇な時間ができたので掃除を少しやった。放棄と塵取りでやった。とにかく金曜日は仕事が少ないのでそうした仕事を探してメンバーが分かれて仕事をやらねばならない。そうして仕事をみんなで探してやらなければいけない時なのだ。そして我々の作業所を自分たちの本当の作業所にしなければならない。毎週金曜日一回でいいから清掃を入れなければならない。そのためには役割分担をして仕事と清掃を分かれてやらねばならないだろう。ただ床掃除が午後仕事があった場合は別だ。中止しなければならない。パン屋だから朝が早くてお店の調理パンを我々は役割分担をして仕事をしなくてはならないのだ。その辺を充分考えて仕事をしなくてはならない。極端に言うと朝はお店の調理パンを作る。そして配達のパンの包装をしなくてはならない。そして午後毎週金曜日は何も仕事がなければ床掃除をデッキブラシと洗剤を使って掃除しなければならない。それで作業が成り立つのだ。以前社長が言っていた。パン屋は午前中忙しくて午後は暇になる。だから午後はしょっちゅう掃除をしていなければならないところなのだ。パン屋とはそういうところだ。その辺を私は充分職員と話し合わなければいけない。みんなもまだまだ仕事というのは物を作ることだけが仕事だと思っている人が多い。だから掃除の指示がなければやらない。誰でもいいから自分で進んでこれをやりましょうと言えるメンバーが一人でも多く発言してくれたらありがたい。まだまだみんな職員の指示で動いているからその辺を努力することができれば理想的だ。私はいつもそれをみんなに期待している。コイノニアは俺たちみんなの職場だと......。そうなれば仕事の話も少しづつ活発に話し合えるだろう。私はそうした作業所にコイノニアをしたいのだ。職員も大勢いるし心配することはないい。

 

白い白い冬

 白く染まった雪の中に花が咲いていた

 それは菊の花のように似ていた

 寒さに負けず強くあれと咲いていた

 白い白い冬の中に力強く咲く菊のような花

 その花はむしろ寒い白い冬だからこそ咲いているのだと思えた

 白い白い冬にそれは戦いを挑んでいた

所長が来た

 今日は木曜日で指定休であった。それとまず訪問看護で母の足の話から進めた。足の具合が良くなくて三十分以上話していた。だから自分のことをあわせて話すと一時間ではとても終わらなかった。だから母のことと自分の話すと母のことの方が時間が多かった。そして終わったのが十二時近くであった。それからお昼薬を飲んだが便秘気味で下剤をいつもより一回分多く飲んでいた。そしたらすぐに聞いてきた。今日はだから二回ぐらいトイレに行った。最初どうも堅いのが出てきてそれが便秘の原因みたいだ。それからはスムーズでとてもさっぱりする。また今日も昼寝てしまった。しかし夕方も寝ていて少し変化している。だから朝も四時から四時過ぎに目が覚める。少しずつではあるが夜は眠くなってきて朝まで少しの時間夜眠れる世になって来た。ねむるときはNHKラジオ深夜便を聞いている。それで眠くてたまらなくなったらラジオを聞いて寝る。今日も夜寝ていて急に目が覚めた。夜のご飯と夜の眠りである。それでよるご飯を食べて少し横になっていた。それからしばらくして所長から電話がかかって来た。今日の夜私の家に来るということである。しばらくしたらやって来は。所長には私が話してあってうちの母のことである。私一人では母のことが結論が出せないのである。だから相談を持ち掛けたのだ。母の足のこと、母の脊髄の腫瘍のこと手術をすべきかしない方がいいのか、とても私と母の二人では話に結論が出せない。それで所長と奥さんとで今日の夜相談を母としてもらったのだ。手術をすると高齢なので体がもつか持たないかわからない。でも脊髄の手術をしないとし二つの腫瘍はとれない。自分と母の二人ではとても話の結論が出しきれないのだ。もちろん高齢だから手術をすれば心臓が止まるかもしれない。心肺停止の状態になるのだ。それほどに大変な手術なのだ。私個人としてはその主要が取れないと安心できない。明日金曜日で作業所の仕事がある。仕事をしながらも母のことは考えて考えてあまり手術をすることを気になって気になって、迷って迷って、どうしようもない。明日は金曜日だからあまり仕事がない。朝の調理パンだけだティーケーキもあるしチョコレート、くるみも売れない。プリンも金曜日だから作れない。せいぜいトライアングルぐらいだ。なぜかA君は少なめといって売れないから作りたくなくなっている。しかし今日は本当に所長が来てくれて心強かった。本当一番私がしっかりしなければいけないのだ。それが迷うなんてそういうところが心細い。しっかり母を見て助けなければならないのだ。手術は本当に勇気ある決断だと思う。勇気ある決断だからだ。

今の母の体の状態

 私の母はもう八十五歳になる。体の衰えがだいぶ進んでいるのに掃除、洗濯、料理と毎日毎日作ったりしている。もう豆で神経的に細かいから私は何も言えない。私が作業所から帰って来ると、料理を作っている。つまり遅くなった時はもうできていては母が待っている状態だ。特に体の悪いところは足である。上半身は健康的でいいのだが足が弱くなってきて、しびれて足の感覚がなくなるぐらいである。また今の母は以前の母と違って休む時間が増えてきた。そんな状態だから歩いていても必ず壁に手をついて歩く。私の母は痛いとかなんだとかあまり言わないのである。だから休んでいてもベッドで黙って新聞などを読んでいる。私は休んでいる母を見るとホッとする。しかし私の母は考えが違う。いろいろ動いたりしているから足のしびれとかが何とか持つのだと言っている。だから明日はどうなるのだろうと心配になる。脊髄を痛めているからなおかつ心配だ。MRIでの写真を見ると腫瘍が一つではなく二つあることが分かった。今は私は非常に迷っている。作業所の所長と二日続けて話をした。どういう話をしたかというと手術をすべきか、それともこのままにしておくかである。八十を過ぎた母が手術に体がもつか持たないか、あるいはこのままにしておいていいのかである。手術をして体がもてば体の進行は少し遅くなるという。これは成功すればの話である。でも結論は体の衰えを先延ばしにするようなものだ。それから手術をしなければ着実に今のスピードで悪くなる。だからその辺をすごくすごく悩んでいるのだ。体がもたなければ心臓が止まるような話も聞いた。だから今の体をリハビリで治すしかないのだ。今の母親の体の状態を母にどうはげましたらいいかわからない。まあ私の心を見ると仕方がないから手術はしない方がいいと思う。もし心肺停止になったりいろいろなアクシデントがあるといけないからだ。その辺を私はすごく迷っている。