体は年とともに衰える

 この頃足が急に痛くなってきた。足の裏やqふくらはぎ、府tモモなどの裏である。今日はすごく痛かった。ファミリーマートでお茶を飲んだ。それから足が痛くなって棒につかまってしばらくいた。少し治って来たので店を出た。それから二百メートルぐらい歩いてまた痛くなった。ベンチで座ったり木の棒につかまっていた。それからしばらくして花小金井の駅に着いた、こんなに足が速く痛くなるなんて初めてだ。それで花小金井の北口に出て故コーヒーをのんで休んでいた。それからベンチで休んで次のバスまで休んでいた、座るとしばらくすると治る。そこが不思議だ、四十分かけて遊歩道を歩いて行った。普通なら十五分でい着くので相当きつかった。作業所に着いてから一時間ぐらい休んでいた。それから作業を始めた。今日は金曜日なのですし仕事が少ない。それにまた私は㈪曜日、水曜b、金曜日と飛び飛びで行ってる。だから休みの日はどうなっているのかわからないのだ。水曜日も午前中で終わる。我々の仕事は朝仕事をして、午後は掃除をする一日の日になっていのだ。放棄で掃く、テーブルの上を全部服、それからお掃除をする。これが私の作業所なのだ。麺麭を焼いたり、プリンを作ったり。ケーキを作ったり洋菓子が多いのである。

どうしてこんなにかゆいの

 かゆみ止めを塗ってもあまり効果がない。手がかゆい。足がかゆい。背中がかゆい。まるで体中がかゆくてどうしようもない。かゆみ止めを塗ってもまるで効果がない。乾燥肌なのかなあ。いろいろ考える。かゆいからかく。かきすぎて血が出てくる。そんなにかゆいのだ。今もかゆみ止めを塗ったが一瞬しか効果がない。虫よけスプレーではないが何かピタッとかゆみが止まるいい薬はないだろうか。塗り薬のかゆみ止めを塗っても一時的なので毎日塗らなければならない。一回でぴったっとかゆみが止まるいい薬はないのかなあ。かくから跡がひどい。赤くなったり、血がにじんだり、かさぶたができたり、今は夏だから肌を出してしまう。だから目立つのだ。手の甲などは後があったり治りかけたりしている。今のところは服が半そででもかゆいところが何とかか隠れていて大丈夫だが、腕などは傷かないうちに傷がついてしまっている。傷薬をたっぷり塗ると塗りすぎで、また少しだけだと効果がない。今も塗ったがすぐ手の甲などがかゆくてかゆくて仕方がない。それは足の甲も同じである。かさぶたができたりして血がにじんだりして急いで縫ってもまるで効果がない。やっぱり体が乾燥肌なのかなあ。今日はこれから飯田橋の病院へ行く。歩いていたり何か目的があって集中しているときはかゆみが忘れられている。でも家に帰って落ち着くとどしても体全体がまたかゆくなるのだ。皆さん何かいい方法はありませんか?あったら教えてください。

今日は通院日

今日は病院に行く日だから指定休でも普通の日と代わりがなかった。ただこの年になると少しづつ疲れが出てくる。朝六時に起きて、七時前に家を出る。それで九時前に病院に着く。結構長い時間だ。だから一時間半は夕にかかる。電車で行くのだが、終点新宿まで始発の電車で寝ていく。終点に着くと乗客の足音で目が覚める。それで後からついていく。都営大江戸線新宿西口駅まで歩く。相変わらず歩くようにできている。もう少し楽に行く方法はないのかな。それに大江戸線も非常に歩く駅にできている。午後は休んでいたがなんだか休んだ気がしない。指定休でもそのンな気がしない。今日はそんな一日である。明日から仕事だがまた薬を練る前に頓服としての薬をもらった。頓服だから毎日飲まなくてはいけないわけではない。気になった時だけのめまいい薬である。十回分もらった。今日は晴れていい天気であった。今ブログを書いているがちょうど雲が広がってきたところだ。昼間は春を思わせるいい天気だった。明日からまた仕事だ。仕事は午前中たくさんある。衛生病院、ケイズ、三育、高校とある。まあそれで午前中の仕事は終わる。今日の疲れを取って明日に備えなければいけない。しかしそう簡単には行かない。朝早く目が覚めることだ。いつも四時前後。これはもう習慣になってしまっている。習慣と言っても悪い習慣だ。朝始発のバスで行って、六時から仕事をやる。まだ薄暗い時間だが、いろいろ仕事はやることがたくさんある。だから今のところ仕事は飛び飛びの月曜日、水曜日、金曜日とやっている。そろそろ午後もできるようにしなくてはいけない。今月は本当に調子が悪くて、午前中の仕事しかできなかった。だから今の仕事は午前中しかやっていない。また火曜日と木曜日は指定休だが、なんかかんかやることがある。例えば木曜日は訪問看護がある。火曜日は月一で腸閉そくの外来がある。また半年に一度耳鼻科に行かなくてはならない。だから何となくしんどい。それでもう少し仕事の話をすると、月曜日は衛生病院の仕事の準備とパンの包装。水曜日は順番に衛生病院、ケイズ、三育、高校とパンの包装をやらなくてはいけない。H君が自分以上の障害で何でもかんでもパンを袋に入れるからだ。三育、ケイズを書いてあってもわからない。そう彼は字が読めないのだ。そうした中彼はパンを袋に入れたりシーラーをやったりすることを覚えている。こっちがどんなにこれはこれ、あれはあれと整えてあってもダメなのである。自分がくっついていないと何でもかんでもパンを袋に入れてしまう。これには困ってしまう。仕事を一生懸命やるのはいいが、でたらめに近いやり方ではちょっと困る。つまり聞くという能力が劣っているのだ。「次は何をやるの。」とかである。そういう一言が言えれば非常に楽になる。自分も今日のように月一回通院をしているので、その辺パンの包装が二種類以上あると、もう心配で心配でたまらなくなる。だめでもいいから一言聞いて、順番にやれるようになってほしい。

雪の天気だったけれど

 今日は天気予報では午前中雪が積もるようなことを言っていたけれども、実際雨が風で少し降った程度で助かった。今日は土曜日で私の登板の作業の日なのである。あとH君もそうであった。私が六時回って来た時、手伝いの前川さんがすでに来て仕事をやっていた。私も早速パンの包装にとりかかった。前川さんの仕事の早いのにはびっくりさせられる。あっという間に天沼と江古田の調理パンを作ってしまった。内容は野菜コロッケが天沼十五、江古田が十である。ソイーズサラダが各十個である。最後に卵が十五と十個であった。それで調理パンが全部終わりであった。天沼と江古田はこれで終わりであったが、七時前後で終わってしまった。それで前川さんはすぐに店の調理パンにとりかかってしまった。七時前後に職員が来た。それで菓子パン利を作り始めた。だからいかに調理パン類が早いかがわかる。H君も八時二十分頃やって来るからとっくに終わっている。いかに早いかがよくわかる。それからH君が来て一緒にパンの包装にとりかかる。もう一人Mさんがいるがこれが遅すぎる。いつも終わってから来る。何とか八時台には来てほしいのだが、どうしても......。作業はみんなでやるもの。協力し合ってやるものである。その辺がいつもかみ合わない。今日は小雨でよかった。ふぶいていたら大変なことだった。私はバス通勤ですので、遅延、運休になったら作業所にはいけない。雪が雨に変わり本当によかった。

障害者が社会で理解されるには

 私は一障害者です。高次脳機能障害と言う障害です。自らの障害を言う人は少ないでしょう。でもこのように心開いて社会に訴えて行かないと、私たちに皆さんとの道はありません。心を開き、勇気を持って、私は自閉症です。私は発達障害ですと。その他いろいろ。でもいえる人はその中でごくわずかだと思えます。精神障碍者手帳でいまだに顔が映るのが嫌だと言う人も多くいるからです。顔を見られるのが嫌だ。指差されるのではないか。そんなコンプレックスを持っている人や自身の無い人も多くいます。それは障害者同士で同じ顔しか見ていないからです。健常者の顔を見ると腰を引いてしまうからです。それが障害者です。だから健常者の社会の常識はわかりません。ルールも分かりません。今そのような障害者がどのようにして生まれたのでしょう。偏見に差別にそれから社会に追いやられて負け、いじめられて精神がおかしくなってしまった人もいます。特に今の世の中は殺伐としています。若者は極端に人間性が、非常識になっています。また命の尊さも軽んじられています。その下社会に私たちも生きているのです。勿論私も昔はこうした障害を認定されるまでは障害者の存在すら知りませんでした。そういう人がいるのかと言う感じでした。あるデイケアに行って私は初めてその存在を知りました。何かくらい。眠そうに下を向いているのですね。だんまりなのですよ。おかしいと思い聞きました。それが精神障害なのだと。私はえっと思いました。その頃は私は高次脳機能障害の認定は受けていませんでしたから、自分は健常者で仕事もしていましたから、ただただ驚きでした。これがこれが障害者なんだと。でも私は思いました。これからは私はこういう人と付き合っていこうと思ったのです。世の中は恵まれた人ばかりではない。このように日陰で暮らさざるを得ない人も大勢いるのだと。そうして私も長い日がたちやがて障害者の作業所に行くようになりました。私が自分のことをおかしいと思ったのは今から十年以上も前のことです。記憶力が極端に悪いと言うことでした。それで日赤に見に行ってもらいました。そうしたら高次脳だと言われ、結局私もみんなの仲間に入ったのでした。仕事を一緒にしていると、みんな真面目でいい子ばかりです。仕事だって毎日来ています。自分から見れば仕事をする人の鏡ですよ。だからどうしてこんな子がこんな風にならなければいけないのかと考えてしまいます。何か悪い事でもしたのかとか、大きな罪を犯したのかと......なぜ偏見の目で見るのだろうと思います。現実に皆さんが見れば素晴らしいと思うでしょう。私も昔職場で薬を飲んでいて、店の店長に本社員にしたいけど出来ないと言われました。これを聴いた時は残念だけど仕方がないなと思いました。だから私は今現在障害者と一緒に昔のこういう経験を活かして仕事をしたいと思っているのです。そのように仕事をすることこそ私には社会に認められる一歩ではないかと思います。もしかしたら良心的な人がいるかもしれません。私たちは助けられて生きて行かなくてはいけません。感謝の気持ちを持って生きて行かなくてはいけません。今年の夏も暑かったです。猛暑日一週間。真夏日一か月。頑張って生きてきました。あともうひと頑張りです。